半田市の半六邸にある竈。
半田市という宇都宮三郎ゆかりの地で、
宇都宮三郎の「築竈論」に則った改良竈の形式ながら特異な形状で、
竃自体いくつかの改修、改変を受けているとみられ、
宇都宮三郎を顕彰する当会も、以前から注目していました。
(もしかしたら、宇都宮三郎が直接指導して作られたかも、と)
この度、半六邸を運営されている半六コラボさんから、
この竈を使えるように改修される計画をお知らせいただき、
改修方法の検討と、事前調査に参りました。
調査に当たっては、中部産業遺産研究会の天野武弘さんほか4名のご参加を得て、
自分一人では得られない知見もいただきながら、図面の作成もしました。
今回、事前に半六コラボさんが周辺を片付けて掃除しておいてくださり、
空間の使い方から、細かいところまで円滑に見ることができました。
この竈の改修を請け負う左官職人さんも立ち会ってくださり、
最後は少し解体もしてみました。
午前10時から午後4時30分頃まで、途中休憩をはさみながら調査をし、
各所の計測や平面図、側面・断面図を作成しながら観察をしました。
その結果、
・現在の姿は昭和34年に伊勢湾台風によって浸水し、傷んだ部分を補修してさらに改変(焚口をふさいだりモルタル補強をしたり)を加えた状態がさらに崩れた状態だったこと
・比較的大きな口径の釜口が並ぶ南列と、比較的小さな釜口が並ぶ東列、構造上どちらかが増築と考えていましたが、明確な回答は得られませんでした。ただし、改修されたのは東列のほうが古いことは明確です。(南列のモルタルに割れ止めの金網ネットの跡があり、東列には同様の目的でシュロが使われていたことによる)
・レンガ積みは両列とも長手積み。上端のみ小口。
・上端のレンガの下地に部分的に鉄板を使っている。これは、焚口から見て釜口の背後に通る煙道(火走り)を構成するため、レンガの長さを補強するためと考えられること。
・7つ釜口に、6つの焚口が設けられていること。東列の中央の釜口は、向かって右側の焚口から熱が回るように仕切りが作られている。
・煙突や煙道への熱の周りを考量したのか、釜口の中心線から焚口の中心線がずれている場所もあった。
・東列の背面のへこみは、釜口に窯を据える際の作業用の踏み込み用だったこと(周囲が片付けられたため、水場からの動線を見ることができて気付く)
・東列の煙道が大きすぎて非合理であること
・使用されているレンガや煙突が、上質のものではないこと。また、外側と内側ではレンガの摘み方や大きさが異なること。上端の平場調整のため、瓦が差し込まれていることなど、適当な補修の仕方もされている
・釜口の壁の形状は。残っている部分は垂直に近いこと
などなど。
そして、
・煙突の移設の跡は明確ではなく、信じられないけれど、当初から現在の形状だった可能性が高いこと
などから
・結果、宇都宮三郎が直接指導したとは考えにくく、より時代が下った大正期頃の改良竈をさらに改良した形式のものではないかと考察しました。
今回の改修に関しては、現場で得られたところから、
厳密な現状の復原ではなく、使えるようにすることを第一義に、
そのうえで外形やこの竈の特徴(通風の方法・この竈の「改良竈」の在り方)を残すことを提言しました。
お盆明けには解体工事に入るそうなので、
その際にはまた立ち合いをする予定です。
今後、この竈が復活してご飯などが炊けるといいなと。
活用を期待しています。
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