宇都宮三郎は、幕末から明治にかけて活躍化学技術者の先駆けともいうべき人物です。
「化学」という言葉を公式に採用させ、セメントの国産化や炭酸曹達の製造や、
竈の改良、醸造法の改良などなど、西洋の技術・学術を日本の実地に応用し、
日本の化学技術の基礎を築いた一人です。
その宇都宮三郎の墓は、豊田市の幸福寺にあります。
実は宇都宮三郎は三河神谷氏の子孫であり、先祖ゆかりの地に自ら墓所を定め、
生前に墓も準備していました。
そして、死に臨んでは特殊な棺桶をつくり、「33年後に開けてみよ、死んだときと同じ姿でいるだろう」と
自らの遺体を防腐処理の実験にするようなことをしています。
没後100年を経た今も、いまだに遺体は掘り起こされていませんが、
明治という時代を化学分野から築いた偉大な人物の眠る場所として、そして、
その最後の実験の行方が気になる、オモシロいところです。
なお、宇都宮三郎の隣には奥方のお墓が並んでおり、
夫妻の墓所の一段上には、神谷氏祖先の墓が整備されています。
また、墓所の手前に据えられた1対の常夜灯は、
宇都宮三郎に恩義を感じていた半田亀崎の醸造家たちが寄付したものです。
(遺産種別:モノ)
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